【大人のOS】定義を更新することは、世界を更新することだ。
私は昔から、
「定義が覆される瞬間」に、強く心を動かされてきました。
10代から20代にかけて読んでいた本には、
必ずと言っていいほど線を引く箇所がありました。
それは、
「愛とは・・・」
「人生とは・・・」
「自由とは・・・」
そんなふうに、筆者がこの世を一行で定義し直す場面です。
その一文によって、
それまで見えていた世界が、急に違って見える。
閉じていたものが開く。曖昧だったものが明晰になる。
その感覚が、たまらなく好きでした。
浪人時代、私は現代文講師の 出口汪氏 に強く惹かれていました。
「現代文は論理である」
という定義を、ブレることなく、圧倒的な熱量で語っていたからです。
当時、多くの人が現代文を、
「センス」
「雰囲気」
「なんとなく読むもの」
として扱っていました。
しかし彼は、
現代文とは、
筆者の立てた筋道(論理)を追う営みである
と定義した。
私はその瞬間、
“読めなかった世界”が急に読めるようになる感覚を覚えました。
定義が変わると、
世界の解像度が変わる。
私は、その体験に救われてきたのだと思います。
大人になって、
私は「言葉の仕事」を選びました。
コピーライターという仕事です。
今思えばそれも当然で、
私は広告のキャッチフレーズに、
「商品の説明」
以上のものを感じていたからです。
それは、“定義”でした。
たとえば、De Beers の、
A Diamond is Forever
というコピー。
これは単なる広告ではありません。
本来、ダイヤモンドに
「永遠」という意味はありません。
しかしこの一行によって、
ダイヤモンド=永遠の愛
という意味が社会に定義された。
広告が、
人々の価値観そのものを書き換えたのです。
以前、私は、ある手袋とキャリーバッグのメーカーに、
「世界中にあたたかさを届ける」
というキャッチフレーズを書いたことがあります。
その会社は、
非常に高い技術力を持っていました。
しかし企業活動の重心は、
どうしても「技術競争」に寄っていた。
もちろん技術は重要です。
ですが、その会社が本当に届けていたものは、
単なる製品ではなかった。
寒い場所で働く人の安心。
移動する人の快適さ。
移動が不安な人に寄り添う温かさ。
人の暮らしのぬくもり。
競技で闘うスキー選手の不安に寄り添ぬくもり。
つまり、
この会社は、
“あたたかさ”を届けている会社なのではないか。
そう定義し直したのです。
すると、
企業の見え方が変わる。
商品の意味が変わる。
社員の誇りも変わる。
定義が変わると、
可能性の範囲そのものが変わるのです。
学習塾OSアカデミアで、私は高校生に現代文を教えています。
現代文の授業で私が最も好きなのは、
「筆者が、この世をどう見ているか」
を、生徒たちと読み解く時間です。
この筆者は、
「孤独」をどう定義しているのか。
「豊かさ」を、
どう見ているのか。
「生きる」を、
どう捉えているのか。
現代文とは、
筆者による“世界の定義”を読む営みだと思っています。
そして、
生徒が新しい定義に触れた瞬間、
目が輝くことがあります。
「あ、そういう見方があるのか」
その瞬間に立ち会えると、
私は、生きている実感を覚えます。
先日、高校生と読んだ文章の中で、哲学者の 大森荘蔵 は、
この世は百面相である
という趣旨のことを書いていました。
世界には、
たったひとつの固定された見え方があるのではない。
見方が変われば、
世界は別の顔を見せる。
私はこの考え方に、
深く共感しています。
結局、私は、
定義によって、
世界の見え方が変わること
に惹かれているのだと思います。
定義によって、
世界が広がる。
息がしやすくなる。
自分を責めなくてよくなる。
他人を違う角度から見られる。
つまり、
解放される。
その感覚です。
私は、
人が生きやすい方向への“解放”を志向することが、
「定義の更新」だと思っています。
うまくいかないとき。
苦しいとき。
前に進めないとき。
その原因は、
能力不足だけではありません。
多くの場合、
この世をどう定義しているか
に理由があります。
会社をどう定義しているか。
仕事をどう定義しているか。
お金をどう定義しているか。
愛を、
人生を、
自分自身を、
どう定義しているか。
その定義が、
見える世界を決めている。
「大人のOS講座」は、
主婦の方から経営者まで、
あらゆる人の“定義”を更新する場です。
世界の見え方を更新する場です。
もし今、
何かがうまくいかないなら。
それは、
あなた自身が悪いのではなく、
世界の見方が固定されている
だけかもしれません。
一緒に定義を更新して、
新しい世界を見に行きませんか。
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