現代文を通して、定義を更新しよう
昨日、現代文の授業で、神戸大学の過去問として、とてもいい文章に出会いました。小林康夫の『こころのアポリア―幸福と死のあいだで』(Ⅲ からだの真実―10 秘密「プライバシーの境界線」―)です。
現代文ですから、もちろん「現代」を土台に読み解くことができます。テーマは、「近代以降」におけるプライバシーとは何か、です。
近代以降、人間は「家」という制度から切り離され、「個人」として尊重されるようになりました。そして、自由や権利を持つ存在となり、「私的領域」を持つようにもなりました。
その一方で、国家や制度、学校、医学、SNS、メディア、そして資本主義によって、人間は観察され、分類され、管理される存在にもなっていきました。偏差値によって管理される高校生の姿も、その一つだと言えるでしょう。
つまり近代とは、「個人を自由にした時代」であると同時に、「個人を透明化した時代」でもあるのです。だからプライバシーとは、単なる秘密ではなく、「誰からでも見られる存在」にされないための境界として必要になったのです。
小林は、その状況を示したうえで、さらに興味深いことを述べます。プライバシーとは、単に世間を拒絶することではない、と。むしろ、不特定多数(三人称)を遮断することで、特定の「あなた」(二人称)にだけ、自分を委ねられる空間のことだと言うのです。
つまり、プライバシーとは、「孤立」のための壁ではなく、「深い関係」を可能にする場所である。これが、小林康夫のいう、近代以降におけるプライバシーの意味(定義)です。
こういう文章に触れると、私たちは、自分の中にあった「プライバシー」という言葉の定義を更新したくなります。そして、二人称「あなた」、例えば友人であり、恋人であり、親や兄弟であり、信頼のおける人などとの関係性を考え直すきっかけにもなります。
現代文とは、自分が疑いもしなかった「定義」を更新する営みです。そしてそれは、「わたし」の解放であり、自由であり、生きやすさへとつながっていく。
生徒との学習を通して、このような素晴らしい文章に出会えることは、私にとって大きな喜びです。ぜひ一緒に学びましょう!
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