「わかった」から「できた」へ
何度も書いていることですが、「わかった」と「できた」の間には、長い距離があります。高校現代文でよく言われる言語論「言葉は氷山の一角であって、その水面下には文化的、宗教的な背景がある」ということだって、それだけ聞けばわかったような気になりますが、それを小論文として自分が論じるには、わかっているだけでは付け焼き刃でにすぎません。付け焼き刃だと、取ってつけたような具体例を引っ張ってきて、浅いところでしか論じられないことになります。同じ主張の評論を何度も読み返し、腹落ちさせて、... 続きを読む >
よくある質問(入塾前)
お問い合わせをいただくときに、説明会や懇談の有無/可否を問われます。説明会は大歓迎です。OSアカデミアがどのような考え方で国語や英語と向き合っているか。それが子どもの成長にどのような意味があると考えているのなどは、ぜひ親御さんにもご本人にもお聞きいただきたいと思っています。
現在の成績は関係ありません。正しい「見方」を知らないからできないのであって、それを知れば、誰でも一定の練習を繰り返すとできるのが語学です。日本語、英語、同じです。
どうぞ... 続きを読む >
量をこなす時間が必要
大学入試には、それなりの抽象度を伴った現代評論が出されます。そこには、抽象的な概念を表す言葉が使われています。「虚構」「自我」「捨象」「止揚」など、いくらでも出てきます。これは、読解の中で生徒は意味を理解します。理解しただけではダメで、それが使えるようにしておくことが、受験で一人で戦える状態ということです。使えるとは、違った文章でも読み取ることができる、またはその言葉を使って解答が記述できたり、小論文に生かせたりということです。
そのためには、やはり繰り返... 続きを読む >
世界を広げられる子ども
小学1年生のときに、学校の給食場を見学したのを覚えています。自分の教室からそこまではとても遠く感じられました。大冒険をした気分でした。どうやら、まだ小さい子どもは自分の家を起点に地理的な感覚を磨くのだそうです。まだ入学間もないときに、慣れていない教室を起点として行動することは、未知の世界の探検と同じ感覚でした。小学3年生くらいになると、ようやく自分の暮らす地域に地理的な感覚が及ぶのだそうです。「地域も学校」を小学3年生を対象としているのは、そのような意味もあります。 続きを読む >
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