心の栄養管理 第18話
みなさん、こんにちは。
心の栄養管理師、よしみ りかです。
今日は、ちょっと視点を変えて、講師の立場としての基本的な考え方を書いてみます。教えると言うことについて。
自分が、何かを経験して、自分の人生が文字通り変わった時、人は、ものすごい衝撃を受けます。それを経験する前と後では、全てが違って見えるから。
そして、同時にその簡単さにも驚きます。
つまり、視点を変えるだけで、全ての意味が変わると言う事実に驚いているのです。
その感動をそのままに、他人に伝えようとする時、
もしくは、親が子供に伝えようとする時、
よく起こるのが、
「自分がした通りの行動を強いること」です。
とにかく、「信じて。やってみて。」と。
行動を強いる。行動すればわかるから、と。
もちろん、行動することで見えてくることはあります。
でも、それは、その人が感動を経験する前に自分と似通った思考や思い込み、生きづらさを抱えていた場合のみ有効なのです。
親子だから、自分が気づいた時も高校生だったから、そんなことは関係ありません。
なのに、行動に疑いを持つ人、行動が続かない人を、
教えている立場の人が、ジャッジすることが多いです。
続けたら解るのに。
つべこべ言わず、信じてやってみたらいいのに。
と。
盲目的について来い。そうすれば、ちゃんと道案内してあげるから。
私が経験しているから、保証済みだよ。
と。
それこそが、指導者としての視野の狭さだと気がつけないのです。
そして、付いてこない人を、なじる。
疑う人を、その人の問題だと切り捨ててしまう。
こういう人たちに、共通するマインドがあります。
それは、
一旦、我を無くせ!
と言う言葉です。
<我>が、悪者になる。
従順じゃないのも、疑うのも、<我>のせいにしてしまう。
でも、その人が伝えたかったのは、【人生の視野の広がり、新しい境地】のはずです。
自分と同じ感動を味わって欲しいことが目的になっているなら、
それは、ただの同じ感覚の人探しの域を出ない。
本当に人生が変わった感動を、人に伝えたいのなら、絶対に心得ておかなければいけないことがあります。
それは、その人の人生の視点が変わるのは、その人のタイミングと、その人の方法があるということです。
そして、自分と同じ方法で、気が付く、腑に落ちるとは限らない。
さらに、同じ感動、似たような気づきを得るとも限らない。
そして、気付きまでの道のりは、自分が経験した道以外に、無数にあるのだ。
と言うこと。
でも、感動が大きければ大きいほど、
確信が深ければ深いほど、
指導者は思うんです。
【俺の、私の、経験した道と方法と同じ道と方法で、感動しなければならない。】
と。
それは、本当に無意識に強く思うことなのです。
その自分の人生を変えた経験、教え、出来事、方法を、敬っているから。
だから、人にも同じリスペクトを求めるんですね。
でも、本当に気づきを得た人は、
人に、他人を敬え。方法に従え。とは絶対に言わない。
それに、自分を敬ってくる人がいたら、気持ち悪さを抱くはずなんです。
なぜなら、気づきによって、人はそれぞれで、完璧なタイミングと方法で気づきを得ると知っているから。
そのために、何者をも、どんな文化も、そんな方法も、敬うことを強制する必要はないと知っているから。
自分を敬う人がいて、それを喜ぶ人は、自分に従属する人が欲しいだけです。
そうして、自分の存在価値を確かめているに過ぎない。
そして、そう言う人は、自分自身が、敬いたくもない人を小さい頃から敬わなければいけなかった経験を持つことが多い。
人に教えたい、そう思うなら、
自分と人は決定的に違う。
自分と同じ方法は、人には通用しないかもしれない。
それを、ちゃんと胸に掲げおくことが大切です。
目標まで向かう道に方法が一つしかないと思うなら、
その方法を会得するための方法が、十人十色なのです。
自分が教えたい本質を伝えるために、努力できるのは、指導者側です。
自分は知っていて、相手は知らない場所への地図を、自分がわかった描き方だけで分かれと言うのは、傲慢です。
相手の背景に合わせて、描き方を一緒に考える。
それが、指導者としての最低限の誠意だと思っています。
次回は、いつもの投稿に戻ります!
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