2024.11.01
それで誤解されてるのかー
国語は感覚やセンスの科目ではない、論理の科目だと言うことは30年あまり前に出口汪氏の主張で、それは大変な支持を集め得たわけですが、やはり言葉なんだからセンスだろうという向きはあって、誤解されている人も多いと思います。
誤解のポイントを私なりに考えてみると、これまでこのブログでも書いてきているように、言葉というのは、無機的な記号ではなく、気持ちから立ち上がってくる意味や感情のあるものだということと一緒になってしまっているように思われます。例えば、算数であれば分数を生活の実感の中で体験的、感覚的に理解する。その後、算数のきまりに従って計算を処理していく。ここは論理的な筋道の話です。しかし、数字はそれ以外の理解の余地はありませんから、数学は論理だと言っても、しっくりくると思います。
国語も、筆者の立てた筋道を正しく、客観的に捉えるという意味で論理には違いありませんが、文章を構成している言葉一つひとつが、気持ちを働かせた体験的、経験的な獲得物であるがゆえに、その集合体もまた感覚的なものであると見られてしまっているように思います。逆に書くことを言えば、言葉のセンスを磨いている人は、論理というレールの上にそれを上手に乗せていけるというイメージです。
論理は手段で、その中身は感覚的であり気持ちの通った言葉だという点で、誤解をうんでいるのだと思います。論理だけでも成長に限りがあるというのがOSアカデミアの言っていることで、気持ちから立ち上がる言葉をいくつ獲得できているかが読解力の異次元の伸びの土台となります。それは気持ちを働かせて日常を送ることと密接な関係があります。知性偏重で気持ちを閉ざした状態でのお勉強では絶対に身につかないものです。ぜひ一緒に学びましょう!
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