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2026.04.11

小林秀雄の「中原中也の思い出」より

高校生と一緒に読んだ文章に、小林秀雄の「中原中也の思い出」という文章があります。「汚れつちまつた悲しみに」という詩で有名な、あの中原中也です。小林は、中原を、対象を客観的に捉えて表現する「詩人」ではなく、自己の内面の悲しみに没入し、それをそのまま吐露し続ける「独白者」であったと述べています。中原は悲しみに浸ることでさらに新たな悲しみを生み出す連鎖の中にあり、その主観的な感情の告白こそが彼の詩の本質である、と。

OSアカデミアの生徒であれば、これを読んで、自分のあり方を見つめて欲しいと思います。彼は悲しみにどっぷり浸かっていましたが、同様に、何かの思いに囚われてそこから抜き差しならない状態というのは、人間にありがちなことです。思考停止の状態であり、主観に(自分に)溺れている状態。自分と距離をとって、客観的に自分を捉えることができるとは、その感情から一定の距離を置かないとできないことです。学習においても言えます。間違いが直らない一因には、思考の過程で思い込みがある場合があります。何かに囚われて本来進べき筋道をそれてしまう。いつも同じところでそれてしまうのは、囚われであり、思考停止です。

中原のあり方は否定されているのではなく、主観に没入する独自の詩的特質として評価されつつも、客観化に至らない点で詩の一類型として位置づけられているのが、小林の評論です。独白者の生き方とは、感情の中にとどまり、「いま感じていること」をそのまま生きることであり、内側の真実に忠実であり、痛みも矛盾もそのまま引き受ける生き方です。

一方で、客観者の生き方とは、感情を一歩引いて見るあり方であり、状況や自分を俯瞰し、言語化・整理・構造化することであり、他者に伝わる形に変換するあり方です。人としての成熟の観点で言うと、「感じる」と「離れる」を往復できることが大切だと思います。まず中原のように、深く感じる(逃げない)。その後、小林的に一歩引いて見る(構造化する)ということでしょうか。現代文で読んだ文章を、自己の生き方やあり方を展望する材料として生かしていただきたいと思います。

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